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福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)91号 判決 1979年4月20日

控訴人(附帯被控訴人、以下控訴人という)

社会福祉法人五月会

右代表者理事

泉智恵子

右訴訟代理人弁護士

稲澤智多夫

(ほか二名)

被控訴人(附帯控訴人、以下被控訴人という)

高田貞子

被控訴人(右同)

有本年江

被控訴人(右同)

冷水博子

被控訴人三名訴訟代理人弁護士

井手豊継

(ほか一二名)

右当事者間の地位保全等仮処分申請控訴、同附帯控訴事件について、当裁判所は、昭和五四年二月二三日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。

主文

原判決を取り消す。

各被控訴人の本件申請及び附帯控訴により当審で拡張された申請を棄却する。

訴訟費用(附帯控訴費用を含む。)は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  控訴人代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らの本件各申請を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決を求め、附帯控訴に対し、附帯控訴により当審で拡張された申請棄却の判決を求めた。

二  被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として、「原判決主文第二項を次のとおり変更する。控訴人は、各被控訴人に対し、別表一(略)賃金及び賞与計算表、昭和五二年及び同五三年度賞与欄記載の各金員並びに毎月二五日限り、昭和五二年四月から同五三年三月まで同表昭和五二年度賃金欄記載の各金員、昭和五三年四月から本案判決確定に至るまで同表昭和五三年度賃金欄記載の各金員を仮に支払え。」との判決を求めた。

第二被控訴人らの申請の理由

1  控訴人といずみ保育園

控訴人は、社会福祉事業法二九条一項の規定により昭和五〇年八月一三日厚生大臣の認可を受けた社会福祉法人であり、同年九月一日から保育所いずみ保育園を設置、開園したものである。

2  各被控訴人と控訴人との労働契約の締結

被控訴人高田は遅くとも昭和五〇年二月初頃に、同有本は同年六月半ば頃に、同冷水は昭和五一年三月二六日頃に、それぞれいずみ保育園の保母として勤務することを内容とする期間の定めなき労働契約を控訴人との間で締結し、被控訴人高田、同有本は同年四月頃控訴人との間で右各労働契約を更新し、被控訴人高田及び同有本は、いずれもいずみ保育園の開園された昭和五〇年九月一日から、被控訴人冷水は、昭和五一年四月一日から、右保育園に保母として勤務し始めた者である。

3  しかるに、控訴人は、昭和五二年四月一日以降被控訴人らをいずみ保育園の保母として取扱わず、且つ賃金も支給しない。

4  昭和五二年一月ないし三月における被控訴人らの平均賃金は、被控訴人高田が月額七万七一二三円、同有本が月額九万二一九五円、同冷水が月額八万九九八九円であり、その支給日は毎月二五日であった。

更に、昭和五二年四月以降、控訴人経営のいずみ保育園における保母の賃金の昇給及びベース・アップの平均上昇率は左記のとおりであった(なお、ベース・アップ分は当年四月に遡って支給された。)。

(一)  昭和五二年四月昇給 一・五パーセント

(二)  昭和五二年一二月ベース・アップ 六・八パーセント

(三)  昭和五三年四月昇給 三・五パーセント

(四)  昭和五三年一二月ベース・アップ 二・六パーセント

また、昭和五二年度の賞与は賃金の五か月分、昭和五三年度の賞与は賃金の四・九か月分(申請の趣旨拡張申立書本文に「五か月」とある記載は別表一の記載に対照して「四・九か月」の誤記と認める。)が支給された。右昇給及びベース・アップ後の賃金並びに賞与の金額を各被控訴人らについて計算すると別表一賃金及び賞与計算表記載のとおりである。

5  よって、被控訴人らは、控訴人に対して労働契約上の地位確認及び賃金支払請求の訴を提起中であるが、本案判決の確定を待っていては、控訴人から支払われる賃金で生活している被控訴人らは回復し難い損害を蒙る虞れがあるので、本件仮処分申請に及んだ。

第三申請の理由に対する認否及び控訴人の主張

一  認否

申請の理由1の事実、同2の事実のうち各被控訴人がその主張の当時控訴人との間に被控訴人主張のような期間の定めのない労働契約を締結し、被控訴人高田、同有本がその主張の当時右契約を更新したことを除く部分、同3の事実のうち各被控訴人が控訴人に対し賃金請求権のあることを除く部分、及び同4の各事実は認め、同5の事実の中、被控訴人ら主張の本案訴訟が提起されていることを認め、以上の他の事実は全部否認する。

二  控訴人の反対主張

1  かえって、各被控訴人と控訴人との間に締結された労働契約は、いずれも臨時として後記のとおり期間の定めのある契約であり締結された時は次のとおりであった。すなわち、被控訴人高田、同有本については、控訴人との間で、それぞれ昭和五〇年九月二九日に、「同年一一月三〇日までの間、臨時従業員として採用する」旨の、同年一二月一日に、「昭和五一年三月三一日までの間臨時従業員として採用する」旨の、そして昭和五一年四月一〇日に、「昭和五二年三月三一日までの間、臨時従業員として採用する」旨の各労働契約を順次締結した。また、被控訴人冷水については、控訴人との間で、昭和五一年四月一〇日に、「昭和五二年三月三一日までの間、臨時従業員として採用する」旨の労働契約を締結した。こうして控訴人は、被控訴人らを臨時保母として採用する旨の期間の定めのある労働契約を締結したが、昭和五二年三月三一日、被控訴人らについてそれぞれ右期間が満了し、被控訴人らと控訴人との労働契約関係は終了した。

2  いずみ保育園の乳幼児定数と保母定数

(一) 控訴人は、当初から、児童福祉法第二四条に基づいて福岡市長が保育所への入所措置をとった乳幼児(いわゆる「措置児」)を保育する施設として、いずみ保育園を設置開園したものである。ところで、措置児を保育しようとする保育園は、福岡市長の認可を受けたものでなければならず、かつ、乳幼児一人について必要な建物の面積・保母数など保育所の設備の最低基準は法定されている(児童福祉法四五条、昭和二三年厚生省令第六三号児童福祉施設最低基準―以下単に最低基準という。―別紙参照)から、控訴人は前記保育園を開設するに先き立ち、福岡市当局の指導を受け、その指導どおりの建物・設備を完成して、福岡市長から措置児を保育する保育園としての認可を受けた。右認可は、乳幼児数の認可定数を別表二の(一)〔A〕欄記載のとおりとするものであった。そして、最低基準五三条二項は、「保母の数は、乳児又は満三才に満たない幼児おおむね六人につき一人以上、満三才以上満四才に満たない幼児おおむね二〇人につき一人以上、満四才以上の幼児おおむね三〇人につき一人以上とする。」と定めているから、いずみ保育園の場合、最低基準に則った保母定数は、八名である。他方、福岡市においては、最低基準以上の保育環境を保持するため、措置児を保育する保育所においては、〇才児三人につき一人の保母(いわゆる加配保母)を置くこととされている。この加配保母は、いずみ保育園の場合、一名であるから、結局、いずみ保育園の保母定数は、別表二の(一)〔B〕欄記載のとおり、合計九名となる。

(二) 福岡市長が児童福祉法二四条による保育所への入所措置をとった場合、同法五一条一項及び五三条に基づき、福岡市及び国庫から入所後の保護につき児童福祉法四五条の最低基準を維持するために要する費用(いわゆる「措置費」)が、福岡市保育協会から「補助費」が、それぞれ保育所に交付されており、保育所は右交付金のみによって措置児を保育している。「措置費」は、措置児の年令区分に応じて乳幼児一名分の金額が定められており、現実の措置児数に応じて毎月保育所に交付されるものであるが、その金額は、性質上、措置児を前記最低基準に定められた人数の保母で保育するのに必要な最少限度額である。すなわち、措置費中、保母の人件費に充てるべき額は、三才未満児六人につき一名、三才児二〇人につき一名、四才以上児三〇人につき一名の保母のみを雇傭できる金額が予定されて、交付されるのであり、しかも措置費中、他の費目、例えば措置児の給食材料費などの事業費についても、支出すべき金額が定められており、他の費目分を削減して人件費に流用することは、直ちに措置児の保育環境を劣悪化させることになるので、許されていない。「補助費」は、前述の加配保母を雇傭する人件費などとして、福岡市が福岡市保育協会を介して保育所に交付するものである。

つまり、いずみ保育園の場合、年令別の児童定数に見合った保母の定数は九名であるから、現実に市から割り当てられる措置児の年令構成が認可どおりである限り、九名の保母を雇傭でき、かつ、九名の保母しか雇傭できない額の措置費と補助費とが交付されるのであり、これがいずみ保育園の正常な状態である。

3  被控訴人らを臨時保母として採用した理由

(一) ところが、開園間際の昭和五〇年八月になって、いずみ保育園に現実に割り当られた措置児の年令構成が、別表二の(二)〔A〕欄記載のとおり認可された乳幼児定数の年令構成とは異なる変則的なものであること、これに基づき計算すれば、同表〔B〕欄記載のとおり、開園当初は一二名の保母が必要であること、しかしながら、開園当初の措置児の年令構成は変則的、一時的なものであって、逐次、認可条件どおりの年令構成に近づくから、間もなく定員どおりの九名の保母で足りるようになり、措置費及び補助費も九名の保母を雇傭できる額しか交付されなくなることが判明した。

そこで、泉智恵子園長は、措置児の年令構成の正常化に伴う措置費及び補助費の減少に応じて適正な人数の保母を雇傭できるようにするため、(イ)保母資格を有し、かつ幼児保育の専門教育を受けている者、(ロ)保母資格を有し、かつ保母の経験がある者、(ハ)保母の経験が三年以上ある者については、これを正規保母として採用し、これに該当しない者については、これを臨時保母として採用するが、措置児の年令構成が正常化された場合には、「傭い止め」することとした。すなわち、昭和四九年一二月に応募した訴外松尾と、その後に応募した被控訴人高田及び同有本は、前記(イ)、(ロ)、(ハ)のいずれにも該らないから、この三名を、前記臨時の趣旨を説明して、臨時保母として採用し(保母一二名のうち九名が正規保母で、自分ら三名が何故に臨時であるかは、右三名は承知している。)、他の九名は、昭和五〇年八月以降に応募した者も含めて、前記(イ)、(ロ)、(ハ)のいずれかに該当するので、これらの者は正規保母として採用した。再言すれば、昭和五〇年八月に、開園当初は一二名の保母が必要であるが、間もなく三名の剰員がでることが判明したことも含め、開園準備の当初から、措置児の年令構成の正常化に伴い、措置費、補助費が減少し、雇傭しうる保母数も減少するであろうことは充分に予測されたから、保母に余剰が生じたときには傭い止めができるという意味で、措置児の年令構成正常化までの間、臨時保母を採用することは、いずみ保育園にとって已むを得ざることであったし、そのことは被控訴人高田及び同有本には十分に説明してあったのである。

(二) 開園後の昭和五〇年一二月末に、訴外伊香賀(正規保母)が退職し、翌五一年三月末をもって訴外厚地(正規保母)が退職する旨を申し出た一方、同五一年二月に福岡市から知らされた同年四月以降の措置児の年令別人数によると、五一年度も一二名の保母が必要であった。ところが、伊香賀、厚地の退職により二名の欠員が生ずるので、四月から新たに訴外芋生及び同石村を正規保母として採用し(前記(イ)に該当)、訴外松尾、被控訴人高田及び同有本の三名についても期間一年とする臨時保母契約を新たに締結して、保母一二名を確保した。

右のとおり必要とされる一二名の保母を確保した後である昭和五一年三月頃、被控訴人冷水から採用の希望が出た。当時代替保母が不足し、しかも、訴外保坂(正規保母)が結婚のため退職するかもしれないと聞いていた泉園長は、「員数外であるから、一年で辞めてもらうかも知れない臨時保母としてなら採用する」旨を伝え、被控訴人冷水もこれを了承して、一三人目の保母(代替要員)となった。すなわち、被控訴人冷水は、前記(イ)の要件に該る者ではあったが、他の保母とは異なり員数外の、しかも、代替保母という意味で、臨時保母として採用された。

その後昭和五一年七月に、正規保母の保坂が退職したが、この頃に、園児の父母や職員(保母)から泉園長に対し、「松尾保母は仕事熱心で園児の扱いも大変よい。今のまま臨時保母にしておいて、いずれは辞めてもらうのはもったいないから、正規保母として長く働いてもらいたい」旨の強い申し入れがあったため、保坂が退職したのを機会に、昭和五一年八月から右松尾を正規保母とした。

4  被控訴人ら三名を「傭い止め」とした理由

昭和五二年二月、同年四月以降に割り当てられる措置児の年令別構成を福岡市から知らされたが、これは認可された年令別構成にほぼ一致するものであった(別表二の(四)〔A〕欄参照)。すなわち、開園前に予測したとおり、昭和五二年度からは、九名の保母で足り、三名の剰員が生ずること(措置費、補助費も保母九名分しか交付されないこと)が明らかとなった。そこで、泉園長は、当初からの予定であり、かつ本人らとの約束でもあるとおり、臨時保母である被控訴人ら三名について、同年三月末日をもって「傭い止め」とすることとし、同年二月二八日、被控訴人ら三名に対しその旨通知した(以下「本件更新拒絶」という。)。

第四控訴人の反対主張に対する被控訴人らの認否及び反論

一  認否

1  前記第三の二控訴人の反対主張1の事実は否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実中、開園間際の昭和五〇年八月になって一二名の保母が必要であることが控訴人に判明した事実及び訴外伊香賀、同厚地、同保坂が退職した事実は認めるが、その余の事実は否認する。控訴人は、昭和五〇年九月開園に備え、遅くとも同年七月末までには被控訴人高田、同有本を含む九名の保母を採用することを決めていたが、その後市から措置児の状況が知らされ、一二名の保母が必要だとわかり、同年八月二〇日以降、開園に間に合わせるべく急ぎ厚地、保坂、藤木の三名を追加採用したのである。従って、控訴人が被控訴人高田、同有本に対し、同人らを採用するに当り同人らが臨時保母であるということを説明する由もない。また、控訴人は、正規保母の基準を予め設定し、それに則って被控訴人らを採用したように言うが、この点に関しては当初からそもそも規準などなかったのである。

4  同4の事実中、控訴人が昭和五二年二月、同年四月以降の措置児の年令別構成を市から知らされた事実及び本件更新拒絶の通知がなされた事実は認めるが、その余の事実は否認する。控訴人は、被控訴人らが組合に加入し、第一回の団体交渉を申し入れた後(昭和五一年七月)から、被控訴人らに対し来年三月までで辞めてもらいますということをはっきりさせて来たのであり昭和五二年四月の措置児の年令構成がどうなるかということとは無関係である。

二  被控訴人らの反論

1  第三の二の控訴人の主張に対する反論

(一) 就業規則三条違反

仮に本件労働契約において、「臨時」保母であることの合意があったとしても、控訴人の就業規則上、「臨時」保母は存在しないから、右合意は無効である。

すなわち、右就業規則三条は、いずみ保育園の従業員として、「保母」(1号)、「臨時雇傭者」(3号)を掲げるが、被控訴人らは、「保母」であって「臨時雇傭者」ではない。これは、被控訴人らの従業する仕事の種類・内容・勤務時間等が他の保母と何ら変わりがなく、かつ被控訴人らについて「臨時雇傭者」にはあり得ないはずの三ケ月間の試用期間を設定され、「保母」のみに支払われる特別業務手当の支給を受けていること等から明らかである。労働基準法(労基法)九三条は「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定めた労働契約は、その部分については無効」である旨規定するが、被控訴人らがそうであるといわれる右臨時保母と就業規則上の「保母」は賃金、解雇等の労働条件において差異がある。よって、被控訴人らを「臨時」保母とする旨の労働契約は就業規則に定める「保母」の基準に達しない労働条件を定めた部分、即ち臨時性に関する不利益な部分につき無効である。

(二) 「期間の定め」について

控訴人は、被控訴人らとの間に、期間を定めた労働契約を締結していると主張し、右期間は、保母定員が九名になった時は更新しない旨被控訴人らに説明してあるという。仮にそうであるとしても、右契約は就業規則三二条三項にいう「期間を定めた労働契約」にはあたらない。右のように実質的に不確定な期限を定める労働契約は、労基法一四条に違反し無効である。

2  解雇権濫用の主張

仮に本件労働契約に控訴人が主張するような期間の定めがあったとすれば、昭和五二年四月一日以降被控訴人らを雇傭しないという控訴人の処置は、いわゆる傭い止め(本件更新拒絶)となるが、本件においては、各被控訴人に対する本件更新拒絶は実質的な解雇であり、実質上解雇権の濫用に相当する。

すなわち、控訴人主張の如く本件労働契約が、期間の定めのあるもので保母の過員の生じた場合は更新しないという趣旨のものであるとすれば、本件更新拒絶は、余剰人員の整理を目的とするいわゆる実質的な整理解雇であるから、解雇の法理に服し、使用者の更新拒絶(実質上解雇)権も労働契約上の信義則から導かれる制約に服する。本件のばあい、以下のとおり、控訴人には昭和五二年二月二八日当時、被控訴人らの解雇更新を拒絶しなければならない差し迫った必要性はなく、しかも、これを避けるための努力も全くなされなかった。

(一) 保母の自然減

一般的に保育園に勤務する保母の勤務年数は非常に短かく、福岡市のばあいも平均二、三年位である。このことはいずみ保育園においても例外ではなく、開園から被控訴人らの解雇(以下本件更新拒絶をふくめて解雇という)までの一年半の間に保母(控訴人の云う正規保母)三名が退職している。したがって控訴人としては、昭和五二年二月の時点で同年四月に保母の過員が生ずることが予想されたとしても、早晩保母の退職者がでることにより、それが解消されることが容易に予測できたはずである。現実に同年六月までに二名の正規保母が退職している。しかるに控訴人は、十分な検討もせずに、保母三名分の人件費が不足すると単なる予想に基づいて被控訴人らを解雇した。なお、第一審判決後にも、二名の保母が退職し、二名の保母が新規採用されている。被控訴人らに対する解雇が無計画で、その必要性がなかったことを重ねて裏づけるものである。

(二) 希望退職者の募集

控訴人は、解雇を避けるために、まず希望退職者を募るべきであった。保母の自然減が見通せなかったというのであれば、尚更そうすべきであった。そうすれば先に述べた正規保母二名も当然退職を希望したはずで、それによって被控訴人らのうち、少なくとも一人か二人の保母の解雇は避け得たはずである。

(三) 三才未満児措置への努力不足

控訴人が、被控訴人らを解雇しなくて済むような児童の措置がなされるよう福岡市に対して要望し、右要望が実現されるよう努力しておれば、右要望は十分実現される見通しがあった。それにもかかわらず、控訴人は何らの方策もとらなかった。

すなわち、いずみ保育園においては、昭和五〇年度(五〇・九・一~五一・三・三一)、五一年度(五一・四・一~五二・三・三一)、五二年度(五二・四・一~五三・三・三一)の三才未満児の入所希望者数が若干漸増気味であり、この申込状況に合致し且つ保母の過員を生じさせないために、控訴人から福岡市に対して前年度どおり三才未満児を多く措置してもらいたい旨希望すれば、その実現の可能性は強かったはずである。

(四) 定員増

最低基準五三条によると、いずみ保育園の保育室の面積から計算した同園全体の収容能力は幼児一一一名となり、現在の定員数一〇〇名より一一名多く収容可能である。そして福岡市においては、保育所の新増設とは異なる定員増についても十分認可の見込みがあった。しかるに、控訴人は、被控訴人らの右定員増の認可申請の要求に反して、右申請をなさなかった。仮に一一名の定員増がなされておれば、いずみ保育園においてそれに応じた保母が必要となったはずである。

(五) 自由児の入園

控訴人は、前年度(昭和五一年度)なみの、また他の保育園なみの自由児を入園させておれば、事実上は措置児も自由児も同一水準で保育する関係で、それに見合う保母が必要となり被控訴人らを解雇する必要はなかったのに、自由児をほぼ零にして被控訴人らを解雇した。

以上の如く、本件では控訴人が右のような努力を少しでもしておれば、被控訴人らを解雇することなく保母三名の過員を解消することは容易にできたはずである。しかるに控訴人が右のような使用者としてなすべき努力をなさず、安易に被控訴人らを解雇したのは、解雇権の濫用として無効である。

3  不当労働行為の主張

被控訴人高田は昭和五〇年九月、同有本は翌五一年五月、同冷水は同年六月にそれぞれ福岡県幼児教育労働組合(以下「幼労組」という。)に加入したものであるところ、本件解雇は、次のとおり、被控訴人らが右組合員であること及び正当な組合活動をしたことを実質的な理由とする不利益取扱いであって、同時に組合潰しを図った支配介入であり、労組法七条一号、三号の不当労働行為に該当し無効である。

(一) 昭和五〇年四月、泉智恵子園長は被控訴人有本の採用面接の際、同人に対し組合などに入らないよう注意した。

(二) 昭和五一年六月、被控訴人らの所属する幼労組はいずみ保育園に勤務する全従業員に組合ニュースを配付したが、これを知った園長は、職員全員を集め、組合には入らないよう注意した。その席上、池口主任は、白百合保育園の石田保母の例をあげ、同人が裁判には勝ったけれども、結局保育園に居られなくなったとか、何処にも就職できなくなったとか、組合に加入すると兄弟の結婚や就職にも差し支えるとかの話をした。

(三) 幼労組は昭和五一年七月一三日付書面を以って、控訴人に対し、団交申入書を郵送したが、右申入書が控訴人に到達したとみられる直後に、園長が全職員を集めて「園内のことは園内で解決し、外部に出さない」という趣旨の文書を全員に回し、同意の旨の署名捺印を求めた。被控訴人らが右文書に署名捺印を拒否したことを知った園長は、被控訴人高田に対し、「高田先生、あなたは臨時だということを覚えておきなさい。一八、一九の小娘じゃあるまいし、自分のしていることがどんなことか分かっているのか。」等と申し向け、また被控訴人冷水に対しては、「あなたまで(組合に)入っているとは思わなかった。」と述べた。

(四) 昭和五一年七月二〇日、被控訴人らと同じく幼労組に加入している芋生よしやの出身校(短大)の理事長が同人を尋ねて来た。同理事長は芋生らが園長に何を要求しているのか聞き出すことを頼まれて来たと芋生に打明けたが、同人は組合のことは何も話したくないと断ったところ、同理事長は芋生に対し、「どういうことをやっているのか分かっているのか。後輩のことは考えないのか。」と暗に組合から脱退するよう誘った。

(五) 昭和五一年七月二二日、被控訴人高田は出勤後園長に呼ばれ、「園を創立して一年未満なのに、何故あなた達は文句を言ってくるのか。白鳩保育園の三人も組合に入っているが、今は園長の機嫌をとりにくるようになった。あなた方も長く勤めたいなら後で園長の機嫌をとるようなことはしない方がいい。」と言われた。

(六) 昭和五一年七月三〇日、泉智恵子園長は被控訴人有本の母親を大牟田から呼び出し、組合活動をしていると兄弟の就職に差し支えるとか、今後福岡市内の保育園に就職できないとかの話をし、母親をして右有本に組合を脱退させるよう仕向けた。

(七) 昭和五一年九月二五日、職員会議での席上、控訴人は昭和五二年三月末日限りで被控訴人らに辞めてもらう積りである旨意思表示したが、その時「あなた達が最低基準ということで問題を起した以上、来年はあなた達に辞めてもらう。」旨申し向けた。

(八) 昭和五一年一〇月二九日、泉園長は被控訴人有本に対し、「組合員が最低基準のことを言わなかったらずっと今の基準のままでやっていくつもりだった。」ことを話した。

(九) 昭和五一年九月八日、第二回団体交渉の席上、泉園長は、保母試験の結果をみたうえで被控訴人有本と松尾保子のいずれを正規保母にするか考えると言っておきながら、同年一〇月一日被控訴人有本が保母資格を取得したというのに、資格が取れなかった非組合員の右松尾を正規保母とした。

(一〇) 福岡市内の私立保育園の殆どが一割ないし五割の自由児を入れており、現に控訴人も昭和五〇年度、五一年度は三五人ないし四五人前後の自由児を入れていた。また、市当局としても、保育所入所を切望する父母の要求が強いため、自由児については黙認する態度を執っており、昭和五二年度においても控訴人としては、自由児を入れようと思えば容易にそれが出来る状況にあった。

しかるに控訴人は、同年度にかぎり、若干の例外を除いて、ほぼ全面的に自由児の入所を拒否し、ことさら保母の需要を減少させた。

(一一) 昭和五二年三月一九日、いずみ保育園の父母の会の席上、園長は園内のゴタゴタが納ったら自由児を入園させる旨父兄に発言した。

(一二) いずみ保育園に勤務する保母のうち被控訴人らを含む四名が幼労組の組合員であるが、本件解雇によって右四名のうち三名までが解雇された。

以上の諸事実によると、控訴人が常日頃から組合を嫌悪していることは明らかで、さらに被控訴人らに対して組合脱退の勧誘をしていたこと及び被控訴人らが幼労組に加入していることを知った昭和五一年七月一四日の直後ごろから、控訴人は被控訴人らを「臨時」であると強調するようになった事実もあり、本件解雇が前述の通り不当労働行為であって、無効となることは明らかである。

第五第四の被控訴人らの反論に対する控訴人の認否再反論

1  就業規則三条違反について

控訴人の就業規則三条は、従業員として、「保母」(1号)、「調理・用務・事務」(2号)、「臨時雇傭者」(3号)を列記している。先に述べたとおり(第三の二控訴人の反対主張3(一))控訴人の経営するいずみ保育園に対し、昭和五〇年九月一日の開園時に措置された一〇〇名の園児の年令構成は、変則的、一時的のものであり、しかも次年度(昭和五一年度)以降毎年園児が一年ずつ上の年令になるので、早晩措置される園児の年令構成は本来のものに近くなり、保母三名はいずれ剰員になることが見込まれる。そこで控訴人は、保母のうち九名を正規保母(採用の初年度においては保母の適否を見るために期間付きの労働契約を締結するも、次年度以降においては期間の定めのない労働契約を締結している)、三名を臨時保母(採用の初年度のみならず次年度以降においても期間の定めのある労働契約を締結している)として採用した。このように「正規保母」、「臨時保母」はいずみ保育園の内部的な区別にすぎず、控訴人の就業規則上には明確な名称区分はなかったけれども、臨時保母として採用された被控訴人らはこのことを十分承知のうえであった。以上のように、前記就業規則条項にいう「保母」の中には、右にいわゆる正規保母を含むものであるから、「臨時」の合意が就業規則上の根拠を欠くという被控訴人らの主張は失当である。

2  解雇権の濫用について

本件は労働契約期間満了による退職であって解雇ではない。従って、解雇権の濫用など問題にならないが、一応被控訴人らのこの主張に対する反論を示せば、次のとおりである。

(一)  保母の自然減、希望退職者の募集について

被控訴人らに退職を通告した昭和五二年二月二八日当時及び同人らが退職した同年三月末当時においては、控訴人には、はっきりした退職者が判っていた訳ではなく、その見込みも判然としなかった。しかも控訴人は社会福祉法人としていずみ保育園の建物資本しかなく、被控訴人ら三名を引き続き雇傭していけるような余裕は全くなかった。そのため控訴人は、被控訴人らに対し、事業団関係の保母募集に応募するよう勧めたり、労働契約期間経過後は保母が休んだりした場合の代替要員の希望はないかと勧めたりした訳であるが、被控訴人らはこれをいずれも拒否した。

また被控訴人らと控訴人間の労働契約は期間付きのものであったから、希望退職者を募集する必要はなかった。

(二)  三才未満児措置への努力不足について

措置児の毎年の措置状況は、福祉事務所が希望者の要措置度、希望者数、距離関係等を配慮のうえなされるものであって、控訴人が要望すれば前年度と同じように措置されるといったものではない。

(三)  定員増について

被控訴人らの援用する最低基準はあくまで最低の基準であって、いずみ保育園の建設に当っても市の指導を受けて部屋の配置、大きさを決めたものである。従って、各部屋の面積を最低基準面積に応じて割出し、この部屋には一名増員が可能、次の部屋は一名増員が可能、次の部屋は二名増員が可能として全部屋合計して一一名は増員可能であるから定員増の認可申請をする、といったところで認可される筈はない。よって一一名の園児に対応する保母数名の解雇は当然回避され得たとする被控訴人らの主張は、失当である。

また仮に右定員増が可能としても、いずみ保育園の経費は国庫(八〇パーセント)、市(二〇パーセント)より受け取る措置費によって賄われており、一一名の定員増が保母の雇傭増につながるものではない。

(四)  自由児の入園について

被控訴人らの所属する幼労組は、控訴人に対し、団交の都度、自由児を入れるな、最低基準を守れと要求していた。昭和五一年一二月一四日両者間に締結された協定(疎甲第一一号証)にも、その旨確約する条項が記載された。そのため控訴人は、右協約の趣旨に沿って、昭和五二年度における自由児の採用を自粛したものである。

被控訴人らの主張するように、控訴人が故意に自由児の採用を控えるに至ったわけではない。

以上のように、被控訴人らの主張はいずれも理由がない。更に控訴人は労働契約期間の満了前に、被控訴人らに対し、昭和五二年度から他の保育所の保母として勤めるようその具体的な園名をあげて勧めたり、いずみ保育園に代替保母として残る意思はないかと勧めたに拘らず、被控訴人らはいずれもこれを拒否した。控訴人には財源的な余裕は全くない。以上述べたとおりであって、控訴人が被控訴人らに対する期間の定めある労働契約の更新をしなかったことについては、十分合理的な理由がある。

3  不当労働行為について

控訴人と被控訴人らとの労働契約関係は、期間の満了によって終了したものである。再契約しなかったことが実質上解雇の法理に服する関係にあるとしても本件は、被控訴人らが組合員であることや組合活動をしたことないし組合破壊を狙って行なった解雇ではない。幼労組からの団交申入を受けた昭和五一年七月一四日の直後ごろから、控訴人が被控訴人らに「臨時」である旨強調したことも勿論ない。

被控訴人らの退職した時点では、組合員の一人である芋生よしやも労働契約期間が満了しているのであるが、同人は大垣女子短期大学幼児教育科卒業で保育専門学校を出ており、正規保母として採用したうえ、現に保母として勤務している。この一事でも被控訴人らの主張は理由がない。

第六疎明関係(略)

理由

一  控訴人は、社会福祉事業法二九条一項の規定により、昭和五〇年八月一三日厚生大臣の認可を受けた社会福祉法人であり、同年九月一日からいずみ保育園を設置、開園していること、控訴人と各被控訴人との間に締結された労働契約(何時締結されたか、期間の定めが果してあるか、あるとすればいかなる期間の定めかはともかく)に基づき、被控訴人高田及び同有本は、右開園時から、被控訴人冷水は、昭和五一年四月一日から、右保育園に保母(期間を定めない「正規保母」であるか期間の定めのある「臨時保母」であるかは、暫く措き)として勤務し始めた者であること、昭和五二年二月二八日、控訴人が各被控訴人に対し、同年三月三一日限り労働契約が終了する旨通知したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  控訴人と各被控訴人との間の本件労働契約の締結の時、期間の定めの有無及び期間について、各被控訴人は、「被控訴人高田は遅くとも昭和五〇年二月初頃に、同有本は同年六月半ば頃に、同冷水は昭和五一年三月二六日頃にそれぞれいずみ保育園の保母として勤務することを内容とする期間の定めのない労働契約を控訴人との間で締結し、被控訴人高田、同有本は同年四月頃控訴人との間で右各労働契約を更新した。」と主張するのに対し、控訴人はこれを否認し、かえって各被控訴人と控訴人との間に締結された各労働契約は、いずれも各被控訴人を臨時保母として採用する期間の定めのある契約であり、被控訴人高田、同有本については、それぞれ昭和五〇年九月二九日に「同年一一月三〇日までの間臨時従業員として採用する」旨の、同年一二月一日に「昭和五一年三月三一日までの間臨時従業員として採用する」旨の、そして昭和五一年四月一〇日に「昭和五二年三月三一日までの間臨時従業員として採用する。」旨の各労働契約を順次締結し、被控訴人冷水については、控訴人との間で、昭和五一年四月一〇日に「昭和五二年三月三一日までの間臨時従業員として採用する」旨の労働契約を締結したに過ぎないと抗争するから、この点について判断する。(証拠略)中被控訴人高田名義の労働契約書(昭和五〇年九月二九日付疎乙第七号証の一、同年一二月一日付疎乙第七号証の二)、被控訴人有本名義の労働契約書(昭和五〇年九月二五日付疎乙第八号証の一、年月日の記入のない疎乙第八号証の二)、控訴人と各被控訴人との作成名義昭和五一年四月中作成日付労働契約書(疎乙第三号証の一、二、三)のうち「臨時保母」、「臨時」等の字句や労働契約期間についての挿入記載が各被控訴人の意思に基づかないで控訴人により後日一方的に記入されたとの部分は(人証略)に照らして採用し難く、(証拠略)中各被控訴人と控訴人との間の労働契約が各被控訴人主張の当時その主張するような期間の定めのない契約として締結されたものであるとの各被控訴人の主張にそう部分は後記二2の冒頭に掲記する疎明資料と対比して採用することができず、ほかに右主張を一応認めるだけの疎明はない。かえって次の事実に争いがなくもしくは疎明があると一応認められる。すなわち、

1  控訴人の開設したいずみ保育園は、児童福祉法二四条に基づいて福岡市長が保育所への入所措置をとった乳幼児(いわゆる「措置児」)を保育する施設である。同園に入所する乳幼児の年令別認可定数は、零才児六人、一才児一二人、二才児一八人、三才児二〇人、四才児二二人、五才児二二人の合計一〇〇人であり、これに対する「最低基準」に則った保母(「基準保母」)の定数は八名で、これに「加配保母」一名を加え、合計九名が同園の保母定数である(別表二の(一)〔A〕〔B〕欄参照)。「措置児」に対しては、国及び福岡市から「措置費」が、福岡市保育協会から「補助費」がそれぞれ保育所に交付され、保育所は以上の交付金のみによって「措置児」を保育している。「措置費」は、「措置児」の年令区分に応じて金額が定められており、現実の「措置児」数に応じて、毎月交付されるが、その金額は「措置児」を「最低基準」に定められた人数の保母で保育するのに必要な最少限度額であり、「補助費」は、「加配保母」を雇傭する人件費などとして、福岡市が福岡市保育協会を介して保育所に交付するものである。

昭和五〇年度(途中開園のため昭和五〇年九月から昭和五一年三月まで)と昭和五一年度(昭和五一年四月から昭和五二年三月まで)に、いずみ保育園に現実に措置された「措置児」の年令構成は、三才未満児が認可定数より多い変則的なものであり、従って、右一年七か月間は、保母も変則的に一二名が必要であり(別表二の(二)及び(三)の〔A〕、〔B〕欄参照)、「措置費」、「補助費」も一二名の保母を雇傭できるだけの金額が控訴人に交付された。

以上の事実は当事者間に争いがない。なお、(証拠略)によればいずみ保育園は園長一名、保母のほか調理員、用務員各一名、非常勤病欠代替一名で組織されていた。

2  (証拠略)を総合すると、次の各事実を一応認めることができる。

(一)  被控訴人高田は昭和四九年頃保母資格を取得した者であり、昭和五〇年五月から同年八月一九日頃までの間に市立那珂川保育所の非常勤代替保母として勤務したことはあるが、いずみ保育園で勤務するまで保母の経験がなく、幼児保育の専門教育を受け(厚生大臣の指定する保母を養成する学校その他の施設を卒業したことをいう。以下同様)ていなかったのであり、被控訴人有本は幼児保育の専門教育を受けず保母資格がなかったのでいずみ保育園で勤務を開始したのち昭和五一年一〇月一日保母資格を取得したが、いずみ保育園で勤務するまで保母の経験がなく、被控訴人冷水は昭和四九年一〇月一日保母資格を取得し、幼児保育の専門教育を受けていたが、昭和五一年四月一日いずみ保育園に勤務するまで保母の経験がなかった。

(二)  福岡市内の認可を受けた各保育所に入所する乳幼児は、福岡市(福祉事務所)により毎年二、三月頃(年度途中の開園の場合は、その一、二か月前)、入所希望者について面接の上決定され、申込者の状況により多少異なることはあっても、各保育所の認可定数に合致した年令構成の乳幼児が措置されるのが通例であるが、年度途中開園の保育所には、三才未満の乳幼児の入所希望が多いため、変則的に三才未満児が定数以上に多く措置されることがあった。

(三)  控訴人代表者でのちいずみ保育園開園後その園長となった泉智恵子は、かねて昭和四九年一二月頃から個別的に保母希望者と面接するなどして、昭和五〇年八月までに定員九名に達する数の保母採用者を内定していた。ところが、いずみ保育園の開園間際になって、控訴人に通知された同園に措置される乳幼児の年令別構成は、三才未満児の措置が認可定数よりはるかに多く(認可定数三六人のところ、措置児数五七人)、当初採用予定の九名の保母では不足し、更に、三名の保母を必要とすることが判った。そこで控訴人は、さらに三名の保母採用者を追加して決めたうえ、昭和五〇年九月一日開園の運びとなった。

(四)  前叙のとおり、いずみ保育園の乳幼児の認可定数に見合う保母の定数は九名であり、開園当時の保母九名及び追加者三名計一二名は、年度途中の開園による一時的、変則的な過渡的措置状況に対応するための暫定的な人員であって定数を上廻るものであり、近い将来措置児の年令構成が認可定数に近づくにつれて、三名の保母が剰員となることが当初から明らかであったので、控訴人は、福岡市当局の指導もあって、(イ)保母資格を有し、かつ幼児保育の専門教育を受けている者、(ロ)保母資格を有し、かつ保母の経験がある者、(ハ)保母の経験が三年以上ある者、以上のいずれかに該る九名を正規保母として、そのいずれにも該らない三名(すなわち被控訴人高田、同有本及び松尾保子)を開園当初から臨時保母として期間を定めて採用し、措置児の年令構成が正常化した場合には、臨時保母契約を更新しないこととした。

(五)  そこで、泉智恵子園長は、昭和五〇年九月初め頃、保母全員に対し、一二名の保母は一時的、変則的な人員で、措置児の年令構成が正常化すれば三名が剰員となり辞めてもらわなければならないので、九名を正規保母とし、三名を臨時保母とする旨及び正規保母とは最初の一年(但し、昭和五〇年は九月一日から昭和五一年三月三一日まで)だけ期間を定め、それ以後は期間の定めのない労働契約を締結し、臨時保母とは各年度ごとに一年(但し、昭和五〇年は九月一日から昭和五一年三月までで、更に最初の三か月は試用期間とする)の期間つきで労働契約を締結する旨説明し、それぞれその旨を記載した労働契約書に署名捺印して提出することを求めた。

(六)  被控訴人高田は、昭和五〇年九月二五日(最初の給料支給日)に、控訴人から「臨時保母」と表示された辞令書(疎甲二六号証の一)を交付され、同月二九日付で「臨時保母」及び「昭和五〇年九月一日より昭和五〇年一一月三〇日までの間、臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙七号証の一)に署名捺印して、控訴人に提出した。これは(五)に前叙した試用期間についての契約書である。その後、同被控訴人は、昭和五〇年一二月一日付で「臨時保母」及び「昭和五〇年一二月一日より昭和五一年三月三一日までの間、臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙第七号証の二)に署名捺印し、次いで昭和五一年四月一〇日付で「臨時保母」及び「昭和五一年四月一〇日より昭和五二年三月三一日まで臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙第三号証の一)に署名捺印し、それぞれその頃これを控訴人に提出し、昭和五一年四月二五日には「臨時保母」と表示された辞令書(疎甲第二六号証の二)の交付を受けた。

(七)  被控訴人有本は、昭和五〇年九月二五日、控訴人から「臨時保母見習」と表示された辞令書(疎甲第二五号証の一)を交付され、同日付で「臨時見習」及び「昭和五〇年九月一日より昭和五〇年一一月三〇日までの間、臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙第八号証の一)に捺印して控訴人に提出した。これも(五)に前叙した試用期間についての契約書である。その後、同被控訴人は、昭和五〇年一二月一日付で「臨時保母」及び「昭和五〇年一二月一日より昭和五一年三月三一日までの間、臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙第八号証の二)に署名捺印し、次いで昭和五一年四月一〇日付で「臨時」の従業員及び「昭和五一年四月一〇日より昭和五二年三月三一日までの間、臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙第三号証の二)に署名捺印し、それぞれその頃これを控訴人に提出し、昭和五一年四月二五日に「臨時保母見習」と表示された辞令書(疎甲第二五号証の二)が昭和五一年七月二五日に「基本給六六、〇〇〇円を給する。昭和五一年七月一日より昭和五二年三月三一日まで臨時保母として勤務を命ずる」旨表示された辞令書(疎甲第二五号証の三、昇給辞令)がそれぞれ控訴人から交付された。昭和五一年七月二五日交付された辞令書は採用の辞令ではない。

(八)  いずみ保育園開園後の昭和五〇年一二月に正規保母の伊香賀が、昭和五一年三月に同厚地が退職した。他方、昭和五一年二月頃には、昭和五一年度に措置される乳幼児の年令構成が判明し、昭和五一年度も三才未満児の割当てが多く(五五人)、引き続き一二名の保母が必要であることが明らかになった(昭和五一年度措置状況が右のとおりであることについては当事者間に争いがない。)。そこで控訴人は、新たに芋生よしや及び石村庸子を正規保母として採用し、正規保母数は九名に達した。その直後、被控訴人冷水から、臨時でもよいから保母に採用してもらいたい旨の申出があったので、控訴人は、昭和五一年七月末に退職予定の正規保母の保坂のあとに臨時保母の松尾を正規保母に採用してあて、松尾のあとの臨時保母にする考えのもとに、被控訴人冷水を臨時保母として正規保母臨時保母を含め一三人目に採用した。正規保母保坂が昭和五一年七月退職したことは当事者間に争いがない。

(九)  被控訴人冷水は、昭和五一年四月一〇日付で「臨時」及び「昭和五一年四月一〇日より昭和五二年三月三一日までの間、臨時従業員として採用する」旨の記載のある労働契約書(疎乙第三号証の三)に署名捺印して控訴人に提出した。これも(五)に前叙した試用期間についての契約書である。その後、昭和五一年四月二五日に「臨時保母」と表示された辞令書(疎甲第二七号証の一)が、同年七月二五日に「基本給六七、八〇〇円を給する。昭和五一年七月一日より昭和五二年三月三一日まで臨時保母として勤務を命ずる」旨表示された辞令書(疎甲第二七号証の二昇給辞令)がそれぞれ控訴人から交付された。昭和五一年七月二五日交付された辞令書は採用の辞令ではない。

(一〇)  いずみ保育園には、昭和五〇年八月に所轄労働基準監督署長への届出をおわり、同年九月一日から施行されている就業規則(疎乙第一号証)があり、その第三条には「この規則の適用を受ける従業員とは次の者をいう。1保母、2調理、用務、事務、3臨時雇用者」と定められ、その第一七条には「賃金の種類は次の通りとする。1基本給、2諸手当」と定められ、その第一九条には、「手当の種類は次のものとする。1特殊業務手当(保母のみ)支給基準は主務官庁の指導による。(以下略)」と定められている。また、同就業規則三二条には「従業員が次の各号に該当するときはその日を退職の日としその身分を失う。(中略)3期間を定めた労働契約が満了したとき。(下略)」と定められている。同保育園では臨時保母も前記就業規則三条一号にいう保母として同規則一七条二号にいう「諸手当」のうち同規則一九条一号にいう「特殊業務手当」を支給されてはいたが、昭和五〇年九月以降の取り扱いによると初任級号俸が基本給、諸手当(前叙特殊業務手当のみでなく、処遇手当、調整手当を含む)を通じて正規保母のそれよりも一段低く格づけされ、同年一二月のベースアップにより昭和五一年四月以降実施された基準によれば、保母資格を有する高校卒業者につき、正規保母は初任級号俸が八等級三号俸に格づけされて基本給六万六、〇〇〇円、諸手当を含め月額七万七、一二三円を支給されるのに対し、臨時保母は初任級号俸が八等級二号俸に一号俸低く格づけされて基本給六万四、二〇〇円、諸手当を含め月額七万五、〇二〇円を支給され、保母資格を有する短大卒業者につき、正規保母は初任級号俸が八等級五号俸に格づけされて基本給六万九、七〇〇円、諸手当を含め八万一、四四七円が支給されるのに対し臨時保母は初任級号俸が八等級二号俸と一号低く格づけされて基本給六万七、八〇〇円、諸手当を含め七万九、二二六円を支給され、なお、パートタイマーは、一時間三五〇円を支給されていた。かような待遇を受ける半面臨時保母は勤務につき、おおむね正規保母と同様の勤務内容であったが、乳幼児の年令階層別保育クラスである組の責任者にされなかった。

(一一)  昭和五二年二月下旬、昭和五二年度の措置児の年令構成が控訴人に通知されたが、それによれば、いずみ保育園の認可定数にほぼ合致していて、保母は定員の九名で足りることになった(別表二の四〔A〕、〔B〕欄参照)ので、控訴人は、昭和五二年二月二八日各被控訴人に対し労働契約期間が同年三月末をもって終了する旨通知した(右通知がなされた事実は、前述のとおり当事者間に争いがない。)。

以上の事実が一応認められ、(証拠略)中前記一応の認定に反する部分は採用できず、他にこの認定を左右するに足る疎明はない。

以上に一応認定した事実によれば、控訴人と各被控訴人との間の労働契約については、試用期間(試用契約をいかなる構成で解するとしても)と昇給辞令の日付とにかかわらず締結された時が何時かを確定するのが相当であり、これを右事実関係についてみれば、控訴人と被控訴人高田、同有本との間では昭和五一年四月一日から同年同月九日までの期間を飛ばしてその前と後とに一回宛合計二回控訴人と被控訴人冷水との間では一回締結されたものであると一応認められ、各被控訴人主張の当時その主張するような期間の定めのない保母(正規保母に相当する)契約として締結され更新されたものであると一応認めることはできず、かえって控訴人主張のとおりの時にその主張どおりの各期間を定めた臨時保母労働契約として締結されたものであることが一応認められる。そして、控訴人としては、現実にいずみ保育園に措置された「措置児」の年令区分に応じて交付される「措置費」及び「補助費」のうちから保母の人件費を支弁する以外に財源がなく、開園当初の三才未満児が異常に多いという変則的な措置状況は、一時的なものであって、当初の三才未満児のうち二才以上児が次年度には在園しても三才未満児でなくなり、同じく当初の三才未満児のうち一才以上児が次々年度には在園しても三才未満児でなくなることもあり措置児の年令構成が近い将来に正常化され、保母に剰員の生ずる事態が明らかに予見されかつそのようになったので使用者である控訴人がかような事態に備えてあらかじめ定数を超える数の保母を「臨時保母」として雇傭することは財源の制約上必要であり、近い将来に予想される剰員発生の際労使双方に不測の憾を残すことのないため予想される剰員数に達するまで前叙のように期間を定めた臨時保母を新規に採用し、追加して採用することが合理性を缺くとはいえない。新規採用にあたり採用の時を基準に正規保母を選択した(四)(イ)(ロ)(ハ)の要件の内容の是非、追加採用にあたりすでに臨時保母として採用されいずみ保育園で勤務していた松尾保子を昭和五一年七月末退職予定の正規保母保坂の後任として採用し、右松尾の後任に被控訴人冷水を臨時保母として採用したことの当否については、当該労働者と使用者との契約によることであり、使用者に解雇の自由よりも広い範囲で採用の自由が与えられていることでもあり、ここに立ち入るべき限りでなく、叙上の各被控訴人と控訴人との間の労働契約はいずれも一年を超える期間を定めるものでもない。

被控訴人らは、臨時保母として期間を定めた本件労働契約は、就業規則第三条(以下単に規則三条といい、他条も「第」を省く。)に違反して就業規則に定める保母の基準に達しない臨時性に関する不利益部分につき無効であると主張する。さきに一応認定したとおり各被控訴人はいずみ保育園において控訴人から同園就業規則(以下、単に「規則」という。)一九条一号により保母にのみ支給すべきであると定められている特殊業務手当を支給されているのであり臨時保母にも規則二五条一項に「新規採用者には3ケ月の試用期間を設ける。」と定められた試用期間があって、臨時保母も規則三条一号にいう「保母」に該ると解すべきことは各被控訴人の主張するとおりである。しかし、規則三条一号又は規則一九条一号括弧内の「保母」が控訴人に雇い入れられる労働契約が「期間を定めた契約」であってはならないと解するのはいささか早計であろう。規則三二条三号は「期間を定めた労働契約が満了したとき」を従業員が身分を失う退職の日と定め、規則三条は保母が従業員として規則の適用を受ける趣旨を定めたものであって、保母労働契約に期間を定めることの可否に関するものではなく、規則(前顕乙第一号証)に記載された規則全体を通観しても保母労働契約が「期間の定めのある」すなわち「期間を定めた」契約であってはならないとする規則は見当らないからである。もっとも一年を超える期間について労働契約を締結することは労基法一四条によって禁止されている。そこで、一年以内の期間を定めた労働契約により雇傭した保母をそうでない労働契約により雇傭した保母と区別するために前者を臨時保母と呼び、後者を正規保母と呼び後者を前者よりもややきびしい条件を充たす者のうちから採用し、後者の一部を乳幼児年令階層別に編成された組の責任者にあて後者には前者をやや上廻る待遇を与えることを規則違反であるとはいえないところ、さきに認定した事実関係のもとで臨時保母契約の期間の有ることから臨時保母契約が就業規則三条に違反するとはいえないことは明らかである。さすれば規則三条違反の各被控訴人の主張はこれを採用することができない。

さらに各被控訴人は臨時保母と就業規則上の「保母」すなわち「正規保母」とが賃金、解雇等の労働条件について差異があるのは、臨時保母労働契約が就業規則の定める「保母」すなわち「正規保母」の労働条件基準に達しない労働条件を定めたものであるから、労基法九三条により臨時性に関する不利益部分につき無効であると主張する。しかし、右各被控訴人の所論は規則三条の「保母」は「正規保母」のみであり「臨時保母」を含まないとの前提に立つものであるところ、その前提の採用し難いことは既に説示したところによっておのずから明らかである。そればかりでなく、労働基準法が一年を超えない期間を定めた労働契約を期間を定めた故に禁ずるものでないことは同法一四条の規定によってこれを窺うことができ、本件臨時保母契約が一年を超えない期間を定めたものであることは前叙のとおりである。それゆえ、右契約が労基法九三条に違反するという各被控訴人の主張は、これを採用することができない。

さすれば、控訴人と各被控訴人との間に締結された本件労働契約は、いずれも昭和五二年三月三一日期間を経過して消滅したといわなければならない。

三  各被控訴人は、仮に本件労働契約に控訴人が主張するような期間の定めがあったとすれば、昭和五二年四月一日以降被控訴人らを雇傭しないという控訴人の処置は更新拒絶となり、本件において各被控訴人に対する本件更新拒絶は実質的な解雇であり実質上、解雇権の濫用又は各被控訴人が福岡県幼児教育労働組合(幼労組)の組合員であること及び正当な組合活動をしたことを理由とする不利益な取扱であり、また組合潰しを図った支配介入であるから無効であると主張する。しかし、本件において控訴人が主張しているのは期間満了によって労働契約関係が消滅したことの通知をしたことであり主張されている労働契約の消滅事由は期間満了であって労働契約関係解約の意思表示をしたことではなく、前叙のとおり期間満了により本件各労働契約は消滅したのであるから、各被控訴人の右各無効の主張はいわば的もないのに矢を放つものであり、立ち入って判断を加えるまでもなく採用し難い。各被控訴人の前記各無効の主張が控訴人の設置するいずみ保育園における臨時保母についての期限付労働契約の実情があたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で継続していたから、控訴人の契約の更新拒絶は実質上解雇の法理の適用がある旨の主張を含むものであるとしても、本件は、前叙のとおり、控訴人が昭和五〇年九月設置したばかりのいずみ保育園に勤務する臨時保母三名につき通知した労働契約期間満了の効力が果して発生したか否かの争われている事案であって、臨時保母三名のうち被控訴人高田、同有本については前叙のとおり各順次二回締結された、期間を定めた労働契約中その間の飛ばされた期間より前の契約についてのみ試用期間のあったことが疎明されることから仮に後の契約は前の契約を実質的に更新したものであると一応認められるとしても、唯一回の更新ののち、被控訴人冷水については当初の契約が更新されないままで、各労働契約の期間満了に先き立ちこれを通知されたのであって、いずれにしても更新が自らの労働契約につき重ねられたものでなく、かつ、本件は昭和五二年三月の契約期間満了前わずか一年七か月内に設置開園された保育園に勤務する労働者についての事案であり、更新の慣行も一応認め難く、しかも各被控訴人が右保育園を設置した社会福祉法人の交付される措置費及び補助金の枠内で人件費を支出すべく措置児の年令構成の変動に即応して雇傭量の調整をはかる必要から雇用された臨時保母であって、契約締結に合理性を欠くといえず、正規保母と異り、児童を年令階層別にわけた組の責任者としない者であることは前叙したとおりであり、(証拠略)中、各被控訴人の採用に際し控訴人側に長期継続雇用、正規保母への登用を期待させるような言動があった旨の部分は、(人証略)に照らして、採用できず、他にこれを一応認めるだけの疎明はないから、前叙期限付労働契約があたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない実情で継続していたと一応認めることは困難であり、したがって控訴人の契約の本件更新拒絶に実質上解雇の法理の適用があるとし、これを前提としてなす各被控訴人の更新拒絶(傭い止め)無効の主張はいずれもその余の点について判断を加えるまでもなく、その前提においてこれを採用すべき限りではない。

四  かような次第で、控訴人と各被控訴人との間の労働契約は、いずれも昭和五二年三月三一日期間の満了によって終了したものであり、控訴人と各被控訴人との間に未だ雇傭関係が存続していることを前提とする各被控訴人の本件仮処分申請は、結局被保全権利の存在について疎明がないことに帰着し、保証をもってその疎明に代えることも相当でないからその余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

五  よって、これと結論を異にする原判決は不当であり、本件控訴は、理由があるから民訴法三八六条に従い原判決を取り消し、被控訴人らの申請を棄却することとし、本件附帯控訴により当審で拡張された申請は、理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部秀信 裁判官 森永龍彦 裁判官土屋重雄は転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 園部秀信)

別表二 いずみ保育園における園児の年令別認可定数と年度毎の措置児数及びこれに対する保母定数の推移表

(無単位の数字は全て人数)

<省略>

別紙 児童福祉施設最低基準

保育所(基準四九条~五八条)

一 処遇特徴と設備

○乳児、幼児の保育に必要な設備

○保育時間……一日八時間。但し事情により保育所の長が決定できる。

○保育内容……健康状態の観察、個別検査、自由遊び、午睡。

○乳幼児三〇人以上入所の保育所

1 乳児、満二才未満の幼児の保育所

乳児室又はほふく室、医務室、調理室、便所。

乳児室は一人につき一・六五m2以上、ほふく室は一人につき三・三m2以上。

2 満二才以上の幼児の保育所

保育室又は遊戯室、屋外遊戯場、調理室、便所

保育室は一人につき一・九八m2以上、屋外遊戯場は一人につき三・三m2以上。

二 職員と定数

○保母、嘱託医、調理員

○保母の定数

1 乳児又は満三才未満児六人につき一人

2 三才児二〇人につき一人

3 四才児以上三〇人につき一人

○なお乳児は通達で保母及び看護婦又は保健婦をふくめて三人につき一人とする(福岡市は乳児三人につき保母一人の加配補助をしている)。

※乳児……満一才に満たない者(児福法四条一号)

幼児……満一才から、小学校就学の始期に達するまでの者(同二号)

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